令和4年6月5日 八田北町地車修理入魂式

平野郷の夏祭りが近いということで夏祭り記事を優先に書いておりましたが、ひと段落したので記事の日時を少し戻して、令和4年6月5日に行われた八田北町地車修理入魂式の様子を書かせていただきます。この日は朝一に菱木東地車入魂式を見た後、自転車で八田荘に行き、八田北町と家原寺町の入魂式を撮影してきました。まずは八田北町の入魂式の様子から。

9時過ぎに蜂田神社に行くと、ちょうど八田北町のだんじりが到着したところでした。

かなり大型のだんじりです。

鳥居前の駐車場にだんじりを入れました。

製作:平成17年新調
大工:吉為工務店
彫刻:木彫岸田

八田北若頭の襷をかけた祭人が拝殿に深々を頭を下げていました。

しばらくすると家原寺町のだんじりもやってきて、駐車場に2台並びました。

番号持ち:宝船

竹の節は左右とも猿。豊臣秀吉をイメージしてるものと思われます。

後ろの旗も素晴らしいです。

9時45分頃、先に八田北町のだんじりが動き出しました。

八田北町の村中を通っています。地図を見てわかったのですが、八田北町には結構飛び地があります。

小屋前まで戻ってきました。

一旦休憩となりました。この後、神出でやりまわしを繰り返すそうです。やりまわしも観たかったのですが、家原寺町のだんじりも観たいのでやりまわし撮影を諦め、家原寺に向かいました。

家原寺を撮影した後、再び八田北町に戻ってきました。もうやりまわしタイムは終わっており、村中を曳行していました。

豪快なやりまわしもいいのですが、他人のスマホが写りこまない写真も好きです。

凛々しいお姿の大工方

法被の右脇下あたりに秀吉の辞世の句がありました。

「露とおち 露ときえにし わが身かな なにわのことも ゆめのまたゆめ」。天下人となった豊臣秀吉が残した辞世の句です。
現代文に訳すと「露のように生まれ、露のように死んでいく、私の人生であったなあ。色々なこと(大阪でのこと)もまるで夢の中のことのようだ」
だんじりの彫り物は太閤記で統一されており。大工方の法被も秀吉ということでとことん秀吉にこだわった町ですね。

村中を通っている時には後ろのセンターの旗が外されていました。高いから電線にひっかかるから外しているのかな。

八田南之町公園の横を通り

八田南之町のだんじりの前を通りました。八田南之町と八田北町の小屋は非常に近いです。

小屋前で猛ダッシュをしました。

だんじりをバックさせ

またまた猛ダッシュ。

バックで小屋に戻っていきました。

関係者の皆様おめでとうございます。

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