令和6年12月3日 秩父夜祭(午前編その1)
今回の記事もは令和6年12月3日に行われました秩父夜祭の様子をお伝えします。この日も朝一から上町に向かいました。
平方向の鬼板の彫り物はだんじり彫刻でもお馴染みの「神功皇后 応神天皇を平産す」でした。
平日の朝ですが前日より人が増えてるようです。祭りの日は学校や仕事を休む。泉州と同じ心意気でしょう。
前日から注目していたのですが、信号機は屋台が通る時に向きを変えてました。
信号機の高さが屋根の高さと同じくらいです。そのため屋台が通過する時に向きを変え
通過すると向きを元に戻しているようです。
上町の屋台が所定の位置に到着しました。朝の移動曳行の終了です。
足回りですが車軸の周りに草を挟み潤滑油の役割をさせていると思われます。
上町はしばらくここで留め置きなので動いている屋台を観るために移動しました。
本町交差点で本町の屋台を発見しました。
ギリ廻しを行っています。
南河内の「おい梃子」と同じような感じです。
2つの軸を差し込み
後ろの駒を浮かせて、屋台の下に回転軸を設置します。
回転軸がセットできたら、後ろのコマを設置させます。この時2本の棒を同じタイミングで降ろさないと屋台が左右に少し傾いてしまいます。
コマを設置させる時に後ろの2本の棒が高くあがるので後ろの人が棒につかまったまま宙に浮いてしまいます。
このぶらさがってる様子がまるで河内長野市三日市のぶんまわしの時のような絵面になります。
ギリ廻しが終わって進み出しました。
拍子木をつないでいる綱が横綱の綱の形と同じようです。
道路いっぱいに広がって綱を曳いていました。
本町の綱元の法被には達磨と書かれていました。達磨がシンボルのようです。
本町の会所前辺りでギリ廻しをしました。
今、気づいたのですが上町は横には唐破風がありましたが、本町は横には唐破風はない形態でした。
ギリ廻しでちょうどいい向きになったら牽引責任者が鐘を鳴らして回転を止めさせていました。
神社のほうに向かってみると中近笠鉾が境内に入ろうとしていました。
神社境内に中近傘鉾が入ってきました。
境内でギリ廻しをしました。
車軸にとりもちは確認できませんでした。駒は鉄ごまのようです。
屋台と鉾の違いですが、私が観察した限りでは、屋根周りでいうと唐破風のみで構成されているのが屋台、切妻破風又は入母屋破風もあるのが鉾、外側6本の柱で屋根を支えているのが屋台、外側4本の柱で屋根を支えているのが鉾といった感じでしょうか。
これまた秩父のみさなんに紹介したい歌です。IKECHANの「神さん天気にしちゃってな」です。秩父の祭りは12月だからあまり雨はふらないですかね?
「午前編その2」へ続く