令和6年12月2日 秩父夜祭(午後編その2)
今回の記事は前回の記事に引き続き「令和6年12月2日 秩父夜祭(午後編その2)」です。
13時40分頃に秩父神社に戻ると宮地屋台が出発するところでした。綱の間に立つ複数の人が一斉に拍子木を打ちました。
拍子木がなると一斉に綱を曳き始めました。
綱の太さは泉州で使っているものより一回り太いようです。
前に乗ってかけ声を出している人は囃子(はやしこ)、襦袢着(じゅばんぎ)、舵取り(かじとり)とか呼ばれるそうです。大阪の感覚では囃子は実際に鳴り物をしている人、舵取りは下で方向転換(舵をとる作業をする人)させる人をイメージするのですがこちらとは違うようです。
宮地屋台が本町交差点でギリ廻しを行いました。
2本の棒を使って後ろを持ち上げます。
後ろの駒が宙に浮き、土台下の空間が広がったので回転軸を下に潜りこませます。
回転軸をセットします。
そして屋台の周りに人が張り付いて回転させます。
右に90°回転させました。
もう一度後ろの駒を浮かせます。
回転軸を取り外します。
そしてゆっくりと後ろの駒を下ろします。
宮地屋台は自町の方へ帰って行きました。
少しだけ宮地屋台に付いて行きました。
水引幕は飛鶴、後幕は猩猩(しょうじょう)でした。
14時過ぎに神社境内に戻ってくると中町屋台が出発するところでした。これからギリ廻しを行います。
平日の昼なのでカメラマンが少ない目だったので非常に撮りやすかったです。
鬼板、懸魚のごっつい彫り物
秩父夜祭とは何ぞや、こちらをご覧ください。
中町屋台が秩父神社を出発する時には子供たちが綱を曳いていました。泉州の綱より太いので子供たちの手には大きく少し持ちにくいのかもしれません。でもだんじりの倍以上重い屋台を曳いて団子坂を上るにはこれくらい太くないと綱が耐えれないのだと思います。
中町屋台が神社境内から出ていきました。
本町交差点でギリ廻しを行い自町へと帰っていきます。向きを変えた後に小さな子供をたくさん乗せたようです。
嬉しそうな顔の老人(お爺さん?)と泣く赤ちゃん(お孫さん?)。対照的な表情です。
中町の会所方向に進んでいます。
途中、本町の会所前で本町の屋台が出迎えていました。
停まっている本町屋台の横を中町屋台が通過します。
お互いの舵取りが競うように盛り上がっていました。
お互いたたえ合っていました。
可愛い声が聞こえてくるので横に回ってみると、たくさんの子供たちが屋台に乗っていました。
休憩場所前についたようです。
ギリ廻しをして駐車場に入れるようです。
舵取の奥さんでしょうか。団扇を持って前に近づきました。
記念撮影をしていました。
ここでも秩父の人にもう1曲ご紹介しておきますね。だんじりソングですが通じるところがあると思います。
REKID / 祭りの終わり
「夜編」へ続く