令和6年7月12日 平野郷夏祭り(午後曳行編)
前回の記事に引き継ぎ、「令和6年7月12日 平野郷夏祭り(午後曳行編)」です。
この日は雨がふったりやんだり、雨対策としてカメラ4台を持っていきました。現在のメイン機種のZ9(雨が降っていない時用、もしくはものすごく小雨の場合に使用)、サブ機種のD500(Z9を買うまでのメイン機種、少しくらいの雨でも一眼レフでいい場面を抑えたい時に使用)、D7000(先々代のメイン機種、多少雨が強い場合でも一眼レフで撮らざるを得ない場合に使用)、Tough g5(豪雨でも撮影可能。水中15mでも撮影可能の防水コンデジ)。雨の状況で使い分けするために持ち込みました。
撮影時は食事も落ち着いてとらず、おにぎりやパンなどの行動食で軽くとることも多いのですが、この日は雨ということもあり珍しく弁当を買って食べようとしました。ということで弁当をbis平野に買いに行こうとしたら西脇組のだんじりが来たので慌てて撮りました。
バスタオルを背中に羽織った祭人の姿が恰好よかったです。
この後は雨雲レーダーによると雨があがる様子、午後からメイン機種のZ9で撮影に臨みました。
食事後に最初に向かったのが野堂東組。平野公園付近を幼稚園児が曳いていました。雨があがってよかったですね。
午後からは野堂町南組の敏腕カメラマンの依頼があったので少し早い目に野堂町南組に向かいました。その移動途中で市町に遭遇しました。
ご依頼された家族写真です。確かに敏腕カメラマンでも自分の姿は撮れませんね。
この後、ここに野堂北組が来ました。たまたま出会ってしまったようです。
ということで南北で合わせました。この時点で九町の撮影がコンプリートしました。平野マイスターと呼んでください。
この後、南港通に向かいました。
たまたま南港通を並走する形になりました。
この後、朝の撮れ高が少なかった泥堂町を撮影に向かいました。
次に向かったのが西脇組、昼頃にコンデジで少し撮影しただけ+午後の曳行がそろそろ終わるので撮影に向かいました。芝建設手前でかろうじて撮影できました。
そろそろ泥堂町も昼曳行の終盤。たくさんの子供たちが曳いて宿近くに戻ってきました。
遺影をお持ちの方が家の前に立っていました。私は毎年12日夕方に泥堂町の宿で食事をいただいているのですが、その時に宿で撮影したことのある方のようです。
遺影の前で勢いのあるところを見せつけました。
この後、私は泥堂町の宿で食事をいただきました。泥堂町の皆様毎年ありがとうございます。泥堂笑店の皆様美味しかったです。ご馳走様でした。
実は昨日(7/23)も柏田で食事をいただいたのですが、その時の会話で出てきた企画が「祭り飯」。おそらく、日本で一番あっちこっちの集会所でご飯をいただいていると思うのですが、その時の様子もシリーズ化しようか検討中です。
その後、宿の前で少し暴れました。
以前は夕食をいただいた後も泥堂町が出発するまで宿でまったりしてたのですが、コース表を見ると動いている町もあることにわかったので昨年からは食後も早めに始動しております。
17時出発の馬場町をまず追いかけました。17時過ぎでもまだ明るいです。
ご祝儀をいただいたようで暴れていました。
続いて脊戸口町へ。南港通から内環の西側を曳行しています。
西脇組は地下鉄平野駅、阪神高速の下あたりにいました。
ここで休憩した後、少し暴れました。
地下鉄平野駅近くの飲み屋でご祝儀をいただいたようです。暴れていました。
この後、内環西側にいたこの三町が出会ってしまいました。
西脇組
馬場町
脊戸口町
3台で多いに盛り上がりました。
「九町合同編」へ続く