令和6年2月4日 小松里町厄除けぜんざい餅つき

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令和6年2月4日は「久米田池オアシスクリーンアップ大作戦」をした後は隣町の小松里町の厄除けぜんざい餅つきに行ってきました。

小屋前にだんじりが出ていました。寒くても太鼓の音が聞こえると外に出て見に行きたくなるものです。

昭和の時代は餅つきでだんじりを出しているところは少なかったと思いますが、平成から令和にかけて、餅つきの時にだんじりを出す町が増えた気がします。その理由を私なりに考えてみました。昭和の時代は子供も多く、たくさんの人が当たり前のように地元青年団に入っていました。しかし平成から令和にかけて青年団の人数が減ってきています。人数が減ったのはそもそも子供の人数が減ったということもありますが、それ以外にも娯楽の多様化、時間的制約による勉強や習い事との両立の難しさ、新規参入者が参加ハードルを高く感じてしまうことなどがあげられると思います。いろんな人と会話して聞いた話ですが町会に入っていない人、子供会に入らない子供もけっこういるらしいです。餅つきと抱き合わせてだんじりを出すことで、だんじりにそんなに興味がなくても餅つきをきっかけとして周りに溶け込んでいくことができます。だんじり単体で出すよりも参加時に気持ちのハードルを少しさげることができるのだと思います。そういった理由で最近は餅つきの時にだんじりを出している町も多いのだと思います。世間では他の祭りよりだんじり祭りは後継者が育成できていると思われているようですが、少しマシなだけで危機はそこまで迫っています。各町のおかれている状況や環境により有効な対策は変わってくると思いますが、これからは私が各地を見てきた取り組みをそういった視点でもとりあげていこうと思っていますので参考になりそうな部分は取り入れてみてください。

子供に鳴り物をしてもらう、屋根の上に乗って大工方をしてもらう、とにかく触れてもらう。そういった取り組みは必要だし有効だとは思いますが、それは今までもしてきたことですし、さらに今後は工夫が求められるのではないかと思っています。みんなで意見交換して後世にこの祭りを継承していきましょう。

鳴り物の様子も動画に納めてますのでよかったらご覧ください。


この日はテントの中で上にようなことを話し込んでいたので写真をあまり撮れていません。昨年も同じ時期に訪問しており、だんじりの写真はこちらに掲載していますので、だんじりの写真を見たい方はあわせてご覧ください。

テントでお餅とお茶とビールをいただきました。お持ち帰りの餅までありがとうございました。

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