令和3年3月28日 忠岡町生之町地車昇魂式・お別れ曳行
2週間ほど前の令和3年3月28日、忠岡町生之町地車の昇魂式・お別れ曳行が行われました。9時宮入りと聞いており、吉井町に8時50分までいたので宮入りには間に合わないだろうと諦めていたのですが、コマが割れるというアクシデントがあり、予定が遅れたことにより、宮入り前のやりまわしに間に合いました。
この一角、だんじりマニア臭が漂ってました。
そして、生之町宮入り前のやりまわし
うーん。踏み台+10cmのシークレットシューズを履いても、スマホは避けれなかったです。残念。
まあ、予定通りなら撮れなかったとこなので、見れただけでもラッキーと思いましょう。
鳥居前にだんじりが据えられました。
マスクは可能な限り着用する努力はしていました。関係者は黒色のお揃いのマスクでした。
宮司さん2人で魂を抜いていました。
魂を抜いた後も町内を少し曳きました。
水桶上の2人楽しそうですね。
小屋前を通過しました。
キャッチャー有田、真ん中高めを要求していました。
狭い道に入って行くようです。
キャッチャー有田。地面スレスレを要求しています。
上から下まで黒づくめですね。池尻町も私が青年団に入った約40年前は黒づくめでした。最近は黒バッチの町は減りましたね。
屋根の上に曳行責任者が乗ってました。
昔は大工方だったのですかね。本当に楽しそうな笑顔でした。
おしめ法被は昔のものでしょうね。昔はこのような、おしめ法被が多かったです。
OGと思われる女性陣も綱を持ちました。お別れ曳行ならではの光景です。
楽しそうに走ってました。
町内の狭い道を通り、式典会場へと向かっています。
狭い道はゆっくりと歩き
塀が邪魔で梃子がきりにくそうですね。
とうとう式典会場近くまできました。
式典会場であるグランドに到着しました。
これから2週間ほどたっていますが、幸いなことにこれが原因でクラスターが発生したという話は聞いておりません。(私が知らないだけかもしれませんが)。
現だんじりとのお別れは寂しいですが、新しいだんじりが出来上がるのが楽しみですね。関係者の皆様お疲れ様でした。