川中島の戦いとは、戦国時代(1553年~1564年)に、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名「甲斐の虎」と呼ばれた武田信玄(武田晴信)と越後国(現在の新潟県)の戦国大名「越後の龍」と呼ばれた上杉謙信(長尾景虎)との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いをいう。主な戦闘は、計五回、十二年余りに及びましたが、実際に「川中島」で戦いが行われたのは、第二次の犀川の戦いと第四次の八幡原の戦いのみ。最大の激戦となった第四次の戦いが千曲川と犀川が合流する三角状の平坦地である川中島(現在の長野県長野市南郊)を中心に行われたことから、その他の場所で行われた戦いも総称として川中島の戦いと呼ばれている。
 両雄の一騎打ちは第四次の永禄四年(1561年)九月十日のこととされている。両軍入り乱れての激戦のさなか、萌黄の胴肩衣に白頭巾の謙信は手薄になった武田本陣へ単騎で乗り込み、馬上から床机(しょうぎ)に掛けた信玄に斬りかかった。信玄は刀を抜く暇もなく、手にした軍配団扇で謙信の鋭い太刀を受け止めたという。信玄は肩先を負傷したが、供回りが駆けつけたため、謙信勢は惜しくも討ちもらして退却した。
 大将同士の一騎打ちは他に例がなく、まさに「絵になる」図柄として、「信玄・謙信一騎打ち」「龍虎相討つ」という題目で土呂幕正面や見送りなどの主要な部分に彫刻されています。

大屋根拝懸魚

 ↓泉大津市宮本町

大屋根枡合正面

 ↓和泉市富秋町

土呂幕

↓堺市大東
↓高石市大園
↓和泉市市辺町
↓和泉市桑原町
↓忠岡町 仲之町
↓岸和田市磯之上町
↓岸和田市紙屋町
↓岸和田市春木大小路
↓貝塚市麻生中
↓貝塚市海塚
↓羽曳野市西之口

大連子

↓岸和田市戎町
↓岸和田市流木町

小屋根車板

↓下野町

二重見送り

↓高石市小高石

見送り・三枚板

↓大阪市中神車
↓東大阪市加納
↓泉大津市下之町
↓岸和田市田治米町
↓奈良県大和高田市大和地車保存会

見送り下連子

↓豊中町

↓富田林市甲田